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横濱JAZZ ESSAY  3 chorus

―Wrote By山本 隆(ディスクユニオン)―

 ボクは、横浜、関内のディスクユニオンに4年と3ヶ月間通っていたことがある。当時ボクは世田谷の桜上水に住んでいた。桜木町へ毎日通うのは本当にしんどくて何度引っ越そうと思ったことか。明大前で井の頭線に乗り換え渋谷へ。渋谷から東横線で桜木町へ。全行程約75分。期せずして桜から桜のつく駅へ毎日、肉体を移動させていた訳だ。
 横浜店での勤務は楽しかった。といっても夜の話、つまり飲酒方面の話。仕事を終了させると足は野毛のダウンビートへ。今は亡きマスターが水差しを抱えて出迎えてくれた。常連のお客さんとの尽きないジャズ談義。その後ファーストへ行ってまたまたビールを飲んじゃう。決まって終電近く。渋谷の駅で井の頭線の終電捕まえる日々が続いた。そんな翌日などはまっすぐ帰宅するのが大人だろうに、ボクはビートの近くの銭湯で酒気を抜きまた夜の野毛へ繰り出していた。そうそう当時アルバイトをしていた管野聖さん。数年前88レコードのイヴェントで偶然お会いした。13年ぶり。懐かしかった。今はジャズのライターをされており、全日空の機内ジャズ放送の監修も手掛けている。それ以来遇う頻度が高まり、先日の横浜プロムナード、西山瞳さん懇親会でも同席させていただいた。
 それから、横浜といえば、なんと言ってもジャズ好きの大人が住んでいる街という印象がある。ボクは今CDを制作したりとかもしているけど、当時はオリジナル盤への興味が最高潮に激しい時。毎日のように持ち込まれるオリジナル盤の香りに、身も心もニャグニャグだった。或る日、かなり年配の紳士がふらりとレコードを持ち込まれた。その由緒正しきLPとコンディションの良さに驚愕した。こんなご老人(失礼)がモダン・ジャズのブルーノートとかプレスティツジ盤とかのオリジナルの関係者であるということ自体、一般的には想像すらできないのに、しかもピカピカ。昔は風を切って、色々なものを鳴らしたモボだったに違いない。それから数ヵ月後、「息子たちもレコードには興味がないので、ボクが生きている内に処分しておきたいから」と来訪を請われた。訪ねると宝の山、ピカピカLPが棚にぎっちりと収められている。大切に数十年間コレクションされてきた宝物を大事にきちんと値段をつけ売却していただいた。二度と出てこないであろうコンディションの良いリー・モーガンの『キャンディー』のオリジナルとか、今もって身震いのする内容だった。ボクは数多くの出張査定を経験してきたけど、コレは最も思い出に残るものだ。
 また、ジャズ喫茶の「ちぐさ」。おやじさんの吉田さんがよくユニオンにレコード漁りにいらしていた。夏はTシャツにタオルを首に巻くというラフなスタイル。颯爽と現れて何かを物色。もう買うものなど無いだろうにと思うが、そのレコードを漁る目つきは鋭く、50年以上ジャズを聴いてもまだ尽きない探究心と愛情を感じた。
 ボクが横浜に通い始めた頃、ランドマーク建設が始まったように憶えている。周辺はすっかり様変わりした。10月の第一週、つまり横浜ジャズプロムナードの時期、至るところでバッジを胸に貼った中年カップルを見かける、これも楽しく微笑ましい。その中にボクと女房もいるわけだが。今年も気持ちのいい風を受けて散策、素晴らしいジャズを堪能させていただきました。

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