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隠れたる功労者=Mr. M. Miyashiro

―Wrote By川﨑成弘 Jazz Collectors Club(スタッフ), Yokohama Jazz Club(会員)―

 昭和八年(1933)から開業した、世界にも類のない“ジャズ音楽鑑賞喫茶店”野毛の「ちぐさ」につきましては、店主・吉田 衛著『横浜ジャズ物語 /「ちぐさ」の50年』を読まれた方も多いと思いますが、オヤジさん(店主)の戦後のジャズ・レコード入手の苦心は、並大抵ではなかったことがよく判ります。空襲で焼失してしまったSPレコードを、再び集めることから店を復活させ、ついに1950年代初めには米国マイナー・レーベルからリリースされたLPレコードを積極的に購入したことにより、多数のミュージシャン、ジャズ・ファンが来店し、リアルタイムでモダーン・ジャズに聴き入っていました。 
注)1948年に米コロムビアは33 1/3回転LPレコードを発表・生産を開始。
  翌49年にアンペックス社がテープ・レコーダーを開発。
 ご承知のように、アメリカでは1942年8月1日よりAFM(American Federation of Musicians):アメリ カ音楽家連合会(俗に略称で「ユニオン」と言う)は、1944年11月までの27ヶ月間のレコーディング・ス トライキを行い、その時期から1950年代中期に掛けて多数のマイナー・レーベル(Roost, Continental, Savoy, Specialty, Dial, Atlantic, Regent, Discovery, Inperial, Contemporary, Prestige, Fantasy, Pacific Jazz, Norgran, Bethlehemなど)が続々と誕生した。
 さて、掲題のMr. Mitsuo Miyashiro(ホノルル在住の日系アメリカ人)は、10代の頃からからSPレコードでスウィング・ジャズを聴き始め、ギターも先生についてレッスンを受けていましたが、ある日ビリー・バウアーの演奏を聴いてその奏法に魅せられ、モダーン・ギタリストを聴きあさったそうです。朝鮮戦争(1950年6月)の兵士として51年に初めて来日後一旦帰国し、学校卒業後の53年に再び軍属として来日。横浜税関近くのオフィスで仕事をしていましたが、現在のMM21内にあった米軍専用ホテル(U.S. Forces Mitsubishi Hotel Yokohama Japan)内のクラブに“ウエスト・ライナーズ”や“山屋 清のFne & Dandies”などのジャズ・バンドが週二回出演していたのでそれらを毎回聴きに行っていたようです。さらに東京にも足を伸ばし多くのミュージシャンと友達になりました。野毛の「ちぐさ」にも友人と通い、日本語が達者だったのでオヤジさんともすぐ親しくなったそうです。初めて「ちぐさ」に入った時、オヤジさんがオシャベリをはじめた客に「静かにして!」と注意したことは、「今でもハッキリ憶えている」といいます。
 Mr. Mitsuo Miyashiroは、“Miyaさん”の愛称で呼ばれるようになり、彼の目に珍しく映った“ジャズ喫茶”が新譜レコード入手で苦労していることを知り、本国の西海岸やカンサスの友人を通じて最新ジャズ・レコード情報を「ちぐさ」に紹介し、選ばれたレコードを本国から取り寄せ国内のどこの店よりも早く客に聞かせていました。オヤジさんはこれが自慢の一つで、客に問われても「企業秘密だ!」と言っていたとか・・・。Miyaさんは自分が世話をしていたことなど、口にしたことはありませんでした。「ちぐさ」閉店の報を電話で話したとき、何とも寂しそうな声で「残念だネ・・・」と。小生以上に詳しい経緯をご存知の方も当然いらっしゃると思いますが、我々昭和10年前後世代のファンが、戦後の焦土から立ち上がり、リアルタイムでモダーン・ジャズを聴けるようになったのも、横浜にMiyaさんという隠れた功労者がいらしたことを知っていただきたいと筆を執った次第です。
 尚、Miyaさんは〝Yokohama Jazz Promenade” には毎年来てくださって、ミュージシャンと旧交を温めることを楽しみにしております。しかし、今年は体調に不安があるため「無理をしないように」と伝えながら、フライヤーを拡大コピーし出演者名をローマ字で書き込み送りましたところ、「スバラシイ企画で、聴きたいグループ、会いたいミュージシャンがたくさん出演するので、是非行きたい!」との電話があり、目下、双方で会場巡りの調整を始めているところであります。
 Miyaさんとの“縁結び?”をしてくださった「ちぐさ」のオヤジさんは、こんな様子をニコニコして見てくれているのでは・・・。

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