Columnコラム

  • 隠れたる功労者=Mr. M. Miyashiro
    ―Wrote By 川﨑成弘 Jazz Collectors Club(スタッフ), Yokohama Jazz Club(会員)―

     昭和八年(1933)から開業した、世界にも類のない“ジャズ音楽鑑賞喫茶店”野毛の「ちぐさ」につきましては、店主・吉田 衛著『横浜ジャズ物語 /「ちぐさ」の50年』を読まれた方も多いと思いますが、オヤジさん(店主)の戦後のジャズ・レコード入手の苦心は、並大抵ではなかったことがよく判ります。空襲で焼失してしまったSPレコードを、再び集めることから店を復活させ、ついに1950年代初めには米国マイナー・レーベルからリリースされたLPレコードを積極的に購入したことにより、多数のミュージシャン、ジャズ・ファンが来店し、リアルタイムで

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  • ジャズ創生期の名女性トランペッター
    ―Wrote By 大西正則(SPコレクター)―

     女だてらに、と言う言い方はアメリカでは差別用語として禁句であるが、近頃のジャズシーンでの女性の活躍振り、特に日本においてはピアノとアルトサックスの分野では女だてらにどころか男性を凌いでの実力と活躍振りである。  アメリカでは、キャンディ・ダルファー、イギリスではバーバラ・トンプソンと、いずれも美形のサックス奏者が人気となっているところをみるとやはり、‘だてらに’という見方はあちらの国にもあてはまるようで、ジャズプレイヤーとしての本物の評価とは別物の感がしないでもない。さて、女性のジャズ奏者としてのパイオニアは、キング・オ

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  • 横浜恐い、ジャズ恐い
    ―Wrote By ~連盟会長 芦塚 隆―

    私はオランダ大使館の文化部なんて変なところで、オランダ文化の日本への啓蒙というのが仕事で36年もいさせてもらった。金もない、場所もないところだけど、何かオランダの文化を紹介するような活動をしていれば、首になって路頭に迷うこともなかった。本来はビジュアルアート、展覧会やアーティストインレジデンスなどがメインでしたね。だって音楽や舞台は招聘のライセンスがいるし、企画して招聘元へ振っても、招聘元だけでは規模が小さいから、ビッグネームしかやりたがらないからね。ところがあるときオランダのジャズを紹介する財団からもっと日本で継続的に啓

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  • ジャズに魅せられた半生の反省
    ―Wrote By バディ・みなみやま(ジャズリサーチャー、ハンター、ライター) *C.ベイシー他,ビッグバンド研究家、B.RichFanClub代表、―

    怒涛の如くに押し寄せた洋楽の洪水の洗礼を受けた60年代、ラジオ傾聴が最大の娯楽でもあった世代でもあります。自分の感性に一番周波数が同調できたと言うべきか振り返れば華やかなりしアメリカ音楽の媚薬効果にすっかり参ってしまった。電源点せば豪華絢爛でゴージャスな楽団のジャジィーな匂いに誘われ大ハマり。スィングビートがたまらない!時に心地よく、時にワイルドでスピーディなドライブ感に酔えるのでありました。今や永遠の師匠となってしまったBuddyRich,はじめシナトラ、ベイシー、そしてT.ベネット、往時も一流と歌われたトップスターを追

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  • Jazz in Tokyo
    ―Wrote By 渡辺 功(Jazz in Tokyo実行委員会 事務局長)―

    JAZZと言うことを聞いて、最初、新橋の人たちは拒否反応をおこしました。“新橋”は、演歌の似合う街だよ、と言われたのが、2002年のことでした。Jazz in Tokyoは、港区内の企業や有志が中心になり、地域貢献型の運動として出発しました。地域主催の祭事や区のイベントなどにJAZZを提供して来ました。当初、ニューオリンズからJAZZのミュージシャンを単独で招聘し、皆さんに提供したりしました。それから、JTアートホール アフィニス(虎ノ門)を中心にしたJAZZライブを定期的に開催しました。こちらは、日本の新進気鋭のJAZZ

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  • ヒストリー・オブ・JAZZプロムナード
    ―Wrote By 石原康行(hama JAZZ 編集長)―

     ジャズは永い間、個人で楽しむ傾向が強く、時折自分の好みのアーティストをライブ・ハウスに聴きに行くケースが多かった。このケースを変えたのは1944年代にコンサートとして企画したノーマン・グランツのJ.A.T.P.であった。この最大の目的は、白人も黒人も一緒にジャズを楽しむコンサート(この場合には正確にはジャム・セッションであるが)としてスタートした。次に一般的になったのはニューポート・ジャズ・フェスティバルで1953年よりニューポートで開かれ19年間続けられた。1971年、若いジャズ・ファンが非常識な行動を起こしたので72

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  • 「The Most Beautiful Girl in the World」
    ―Wrote By 小針俊郎(ジャズ・プロデューサー)―

     いまわたしは40年ぶりに再会した恋人との暮しを楽しんでいる。恋人とは懐かしいムード・ミュージックのことである。きっかけはアメリカから送られてきた一枚の試聴用のディスクであった。わたしが友人と共同経営するCDレーベルからの日本発売を打診してきたものだ。ディスクの表面には「Lonely Town/Alan Kaplan」としか記されていない。「ロンリー・タウン」はミュージカル「踊る大紐育」のためにレナード・バーンスタインが作曲した曲であることはすぐにわかったが、アラン・キャプランというトロンボーン・プレイヤーはまったく聞き覚

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  • “横浜に学べ”ジャズ関係者よヒップでいこう
    ―Wrote By 高橋慎一(カメラマン/ハバナ・ジャム・セッション主催)―

     街の喧噪を夕闇が包みはじめた、午後6時の新宿。仕事を終えた僕は、カメラ屋やレコード屋を数件ひやかした後、『ビームス』へと立ち寄った。チョイ悪親父よろしく派手めのジャケットを試着して鏡の前でポーズをキメテいると、『あれ~高橋さんじゃないですか?』と後ろから声をかけられた。  驚いて振り返ると、ジャズ界きっての伊達男、ディスクユニオンのY氏がいるではないか。ダンディなスーツに身を包んで、高級オーダーメイド・ジャケットのコーナーに佇むY氏、僕の顔を確認すると『やっぱり高橋さんだ。いや~、しょっちゅうビームスに来てるケド、ここで

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  • 横濱ジャズ・プロムナード雑感
    ―Wrote By 三村慎司(スイングジャーナル)―

     横濱ジャズ・プロムナード2日目,みなとみらいホールでロブ・ヴァン・バベル・トリオを聴いた。最も印象的だったのがジョン・エンゲルス(71歳)。チェット・ベイカー最後の来日に帯同していたのだからその芸歴は推して知るべし。とにかく,スイングするドラムだ。しかも,ご本人が叩きながら非常に楽しそうである。近頃,上手なドラマーは大勢いるのだが,観て・聴いてハッピーにさせてくれる人は少ない。 “オランダの親爺さんは元気いいなー”と感嘆していたら,次のステージでは何と日本の極ワル親爺・KANKAWAが,みなとみらいホールの誇る超豪華パイ

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  • 横濱JAZZ ESSAY  3 chorus
    ―Wrote By 山本 隆(ディスクユニオン)―

     ボクは、横浜、関内のディスクユニオンに4年と3ヶ月間通っていたことがある。当時ボクは世田谷の桜上水に住んでいた。桜木町へ毎日通うのは本当にしんどくて何度引っ越そうと思ったことか。明大前で井の頭線に乗り換え渋谷へ。渋谷から東横線で桜木町へ。全行程約75分。期せずして桜から桜のつく駅へ毎日、肉体を移動させていた訳だ。 横浜店での勤務は楽しかった。といっても夜の話、つまり飲酒方面の話。仕事を終了させると足は野毛のダウンビートへ。今は亡きマスターが水差しを抱えて出迎えてくれた。常連のお客さんとの尽きないジャズ談義。その後ファース

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