横濱ジャズプロムナード2010




横濱JAZZ ESSAY  4 chorus

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15

横濱ジャズ・プロムナード雑感

三村慎司(スイングジャーナル)

 横濱ジャズ・プロムナード2日目,みなとみらいホールでロブ・ヴァン・バベル・トリオを聴いた。最も印象的だったのがジョン・エンゲルス(71歳)。チェット・ベイカー最後の来日に帯同していたのだからその芸歴は推して知るべし。とにかく,スイングするドラムだ。しかも,ご本人が叩きながら非常に楽しそうである。近頃,上手なドラマーは大勢いるのだが,観て・聴いてハッピーにさせてくれる人は少ない。
 “オランダの親爺さんは元気いいなー”と感嘆していたら,次のステージでは何と日本の極ワル親爺・KANKAWAが,みなとみらいホールの誇る超豪華パイプ・オルガンをガンガン弾いているではないか! とんがり帽子を被り,異様なマントを羽織って,スポットライトに浮かび上がるその姿は,ジャズマンというより祈祷師に近い。ホールに鳴り響く荘厳なオルガンの音色が,宇宙からのメッセージに聞こえる。“いいぞ,いいぞ。日本の親爺もたいしたんものだ”
 さて,他の会場も廻ろうと,ホールのロビーに出たところでプロムナード・ミュージカル・ディレクターの柴田さんに会う。また,チョイワルそうな親爺の登場だ。会うなり「おい,J.A.T.P(ジャズ・アット・ザ・プロムナード)観たか?」ときた。「これからです」と答えると,「早く行った方がいいぞ,興奮した客が倒れて救急車で運ばれたらしい」とこともなげに言う。「そりゃ大変だ,直ぐ行きますよ」と応じると,「まあ待て,飯でも食おう」と,ビールとつまみをコンビニで買ってきた。全くよく判らん親爺である。
 秋晴れののクイーンズ・パークでアマチュア・バンドをひやかしつつ,ビールで肉マンとチョコレートを流し込むと,J.A.T.Pより先に,私の胃の中でジャム・セッションが始まった。それにしても,柴田さんもワルだ。ビールを飲みながら“トラブル発生!”と慌てるスタッフからの緊急電話に悠然と答えている。彼にとってプロムナードは,我が子と同じ。企画やブッキングや会場設定といった産みの苦しみさえ過ぎれば,後は野となれ山となれなのだろう,お産したばかりの赤ん坊を慈しむ母親の表情で,にこやかに演奏を眺めている。
 ともかく,J.A.T.P.である。地下鉄で会場の大さん橋ホールに向かう。日本大通り駅から10分を早足で行く。この日の横浜は観光日和,とにかく人が多い。アベックや家族連れを掻き分けかき分け,ようやく会場に着くとマーサ三宅のスキャットが耳に飛び込んできた。よかった,間に合った。特別に設えたステージに全員が勢揃いしている。どうやらフィナーレが近い。年齢も楽歴もスタイルも国籍も性別もバラバラのミュージシャンが,ジャズという根っこで繋がっている。この光景を目前して,大いに感動。この素晴らしき競演に心からの拍手を贈る。
 ただ,一つ残念なのは,このJ.A.T.P.の音楽的・精神的支柱になるはずであった2人のベテラン・ジャズメンが出演できなくなったことだ。8月末に急逝したモダン・ジャズ・ギターの第一人者沢田駿吾と,闘病中の元・東京ユニオンのリーダーでテナー・サックス奏者の高橋達也。柴田ディレクターがどうしても入れたいと願っていた日本のジャズ・ジャイアンツが居ないのは寂しい限り。
 10月の熱い2日間は過ぎ,いま季節は晩秋を迎えた。時は移り,人も街も変わる。ジャズのスタイルだって少しずつ変わる。でも,“想い”は変わらない。人を,街を,そして生まれながら宙に消えゆく運命を背負った音楽を慈しむ“想い”だけは,いつまでもハマっ子のDNAとして刻みつけていきたいものである。

ページのトップへ