横濱ジャズプロムナード2010




横濱 JAZZ PROMENADE 2005 | スペシャル対談

jazzpro2005

・実施概要
・会場風景
・タイムテーブル
・出演者
・スペシャル対談
・ニューオーリンズ救援義援金
・参加者の声
・データ



横浜市長 中田 宏(HIROSHI NAKADA)

横浜市長 中田 宏(HIROSHI NAKADA)
1993年衆院選に初当選。連続3期つとめる。2002年には横浜市長に37歳の若さで就任。高い支持を受け、現在も積極的な指揮で横浜市を引っ張るリーダー。


洗足学園音楽大学教授 中村 誠一(SEIICHI NAKAMURA)

洗足学園音楽大学教授 中村 誠一(SEIICHI NAKAMURA)
洗足学園音楽大学教授で、プロのテナー・サックス奏者。大学の講議では教え子たちに“魂の発露”を熱く語りジャズを心から愛して止まない情熱家。


横浜市立笹下中学校教諭 矢嶋 照夫(TERUO YAJIMA)

横浜市立笹下中学校教諭 矢嶋 照夫(TERUO YAJIMA)
横浜市の中学校で唯一のジャズバンドを指揮する。後続指導者がいない事が悩みの種。とにかく楽しむことをモットーに日夜指導に励む努力家。


“ジャズの街で生まれた子どもたちへ~ジャズと教育~”

Jazzの街ヨコハマが提案するJazzとは…?
教育現場の二人と、街を支える横浜市長が熱く語り合う。
今、ヨコハマのJazzが
子ども、教育、文化芸術を変える!

昔の子どもと今の子ども
変えたのは子どもを取り巻く大人たち

庄司:今回のテーマは“ジャズの街で生まれた子どもたちへ~ジャズと教育~”ということですが、中田市長、中村先生、矢嶋先生それぞれの子どものころってどんなタイプのお子さんでしたか? 例えば夏休みの宿題を最初にガーッとやってしまう子だったのか、毎日コツコツと計画をたててやっていく子だったのか、はたまた、ずーっと遊んでしまって最後の3日間でやってしまう子だったのか。
横浜市長 中田 宏 市長:僕は一番最後のタイプ。ずーっと遊んでいましたね。ひたすら最初から最後まで遊びまくって、遊んで終わる。何もやらないまま学校が始まって先生に叱られてましたよ(笑)。
中村:僕も市長と同じですね。最後までやらないで学校始まってもやらない…。いやいや、最後には仕方なくやりましたけどね(笑)。
矢嶋:僕はどっちかというと先にやっちゃう方だった。嫌なこととか面倒なことは先にやってしまって、あとは心置きなく遊ぶ。
市長:やっぱり“先生”だ。
矢嶋:でも、早くやって遊びたいからいいかげんにやって、結局9月になると怒られるんですよ。コツコツタイプはこの中にはいなかったわけですね(笑)。
市長:絵日記なんか、最後に何日分も思い出して描くのが大変だったなぁ。
庄司:みなさん、わんぱくな子ども時代だったようですね。ところで、私の体験でのことなのですが、外で自然と触れあって遊んでいる子を“昔の子どもみたい”と形容する人がいらっしゃいました。今の子どもたちって、昔の子どもと違うんでしょうか?
市長:周りが変わってきてると思う。子どもたちは変わっていないけど、子どもに遠慮してしまったり、子どもをとりまく周りの状況が変わってきた。
庄司:確かに、昔って悪いことをした時は、近所のおじさん、おばさんに叱られました。
中村:今そんなことをやったら大変なんじゃない? 近所でも、それこそ小さい頃から見てきた子どもたちが何か悪さしてたら注意できますけど、そういう子どもの数が少ないんです。
引っ越すことも多いし、近所に大きなマンションなんかができてしまえば、もうどこの子なのかすら分からないですからね。
庄司:市長も学校を回られていますし、実際にお子さんもいらっしゃいますよね。
市長:子どもの環境を大人が押し売りしすぎだと思いますね。経済が成長してきて、その結果なんでもビジネスに繋がってしまうし、子どもをビジネスの対象にしてしまっている。挙げ句、遊びだってビジネスの対象ですよ。大人が商業的に企画したものが、子どもを取り巻いてしまっていますよね。
中村:本当にそうだと思いますよ。少し話がズレますが、僕が若いころ、ズート・シムズ(幅広く活躍したテナー・サックス奏者。1985年死去)というサックスのプレーヤーが来日して、盛岡で一緒にやったんですよ。演奏が始まってみれば、日本人のリズム・セクションのテンポがガクっと落ちちゃって。でも、彼はすーっとそのテンポに歩み寄っていって見事な演奏をしたわけなんです。
僕は今までテンポが遅くなったり早くなったりしたら怒られる場面しかみたことが無かったから感動ですよ。何年か後にまたズート・シムズさんと会うことがあって、当時のことを聞いてみたら「4人いて3人がそうなったら、自分が歩み寄った方が話が早いだろう」ってこう言ったんですよ。自分に余裕がなければできないことでしょ。相手がいて自分がいる。その場その場で良いチョイスができるという、そういうのを初めて見た気がしました。

敷居が高い文化芸術を身近に
横浜市の取り組み

洗足学園音楽大学教授 中村 誠一庄司:横浜では、世界に開かれた文化芸術創造都市を作っていこうということで、既に街づくりが始まっていますよね。具体的にどのような取り組みをされているのでしょう。
市長:文化芸術っていうところでいうと、今年度からなんですが、毎週土曜日は小・中・高校生までは横浜の文化芸術施設のほとんどを入場無料にしています。横浜美術館、横浜市歴史博物館、横浜ユーラシア文化館とか。そこで、さっき言ったような商業主義的に子どもたちにアプローチするのではない取り組みをしているんです。子どもたちが自発性を持ってこういう施設を利用してほしい。子どもたちがいざ行動を起こそうとした時に、「横浜に住んでいればタダであそこにいけるよ」という環境を整えようということをやり出しているわけです。
庄司:環境が整って文化芸術に触れながら成長していく子どもたちは、変わっていくんでしょうか。
市長:変わるでしょうね。中村先生も矢嶋先生も専門家だけど、僕は少なくとも芸術分野というのは、音楽だろうが絵画だろうが、とにかく敷居の高いものだった。音楽というとシューベルトがあーだこーだっていう学校の授業で嫌気がさしたし、美術も同様に印象派がなんだとか、そんなこと覚える気にもならなかった。だから、楽しむっていう概念がなかった。そんな敷居の高いところで、入場料まで払わないと見られないんですよ。
そうじゃなくって、道を歩いていれば音楽が聞こえたりとか、オブジェが街中にあったりという環境があれば、おのずと僕がそうであった環境とは全然違ってくると思いますね。
矢嶋:そう。やっぱり小さいころに良いモノに接しないとダメな部分は少なからずあるんです。良いモノを見たり、良い音楽を聞いたりして、それがクラシックであろうとジャズであろうと、「ああいう演奏をしたい」って思うことが大切。そこで教える人がいないと、結局はダメになってしまうんですけど。小さいころから音楽に親しんで、自分なりの耳を持って判断できるような子どもが増えてくる。あるいは、そこまでいかなくても自分が好きでずっと音楽を聴いていたいとか、多少なりとも続けていたいって思う人がひとりでも多く増えていくことが一番大事なんじゃないかなぁ。音楽やっていてもプロになるのはほんのひとにぎり。でも、好きで聴いている人や、趣味で続けている人たちが観客になる。そういうことで、ひとにぎりのプロを支えているんですから。

教育現場の現状
ジャズは自由な活動から心に眠る魂を目覚めさせる

庄司:矢嶋さんは今までいろいろな中学校にいらして、吹奏楽部だったものをジャズ・アンサンブル部に変えてきました。これはどうしてですか?
矢嶋:僕はブラスバンドができないからですよ(笑)。ジャズしかできないからジャズバンドにする。ただそれだけ。ジャズは楽なんですよ。ブラスバンドはピッコロ、フルートから始まってテューバ、パーカッションまでたくさんの楽器が必要になる。何十分の曲の中で1回だけドーン鳴らすゴングだけで何十万円っていう世界です。でも、ジャズだとサックスとトロンボーンとトランペットとリズム・セクションがあればできてしまう。
中村:これは吹奏楽の先生から言わせると、矢嶋先生は危険人物(笑)。
矢嶋:たしかに、意見は合わないことがありますね(笑)。ただね、さっきの市長のお話でもありましたけど、学校教育でシューベルトがどうのこうのって言われたらそれだけで嫌になっちゃうっていう子は少なくない。でもジャズっていうのは楽しいところから入っていけるんです。「多少音外してもいいから、とにかく自分で勝手にやってみろ」ってやらせてみると、何回かやっているうちに音が外れたことも分かるようになって、そうしているうちにソロが吹けるようになってくる。
中村:それが、僕の言いたい魂の発露。人間は生まれもった、いいものをそれぞれもっている。純粋な魂みたいなものを。それが演奏で出たときに、聴いている人たちは感動するわけで、それは、聴いている人も魂を持っているから。そういう刺激のし合いや、魂を出すためのテクニックを私は今、生徒に教えていて、これが目標でもあるんです。

ジャズの街ヨコハマ

庄司:横浜生まれ横浜育ちの私でも横浜でジャズが盛んだということを知ったのはずいぶん大きくなってからでした。そう思うと、横浜がジャズの街=日本で初めてジャズが演奏されたのが横浜だということが、市民に浸透していない印象を受けます。もっと、子どものころから知らないうちにジャズが自分の中にはいってくる環境を作れないものでしょうか。
中村:それはもう中田市長のお力にすがるしかない。
市長:実はジャズも僕にとっては結構垣根が高かった。だけど、市長になってJAZZプロムナードにかかわるようになって、柴田さん(横浜ジャズ協会常任理事)に「昔は洋モノを全部ジャズって言ったんだ」なんて教わってね。そういうところから、垣根がとれてきて。
でも、僕は結構子どもの頃から横浜でジャズっていうのは知っていた。ただ、実際に触れる機会が少なかったのは事実で、そういう意味でこのJAZZプロムナードは、もっともっと発展させなきゃなぁって思います。
庄司:実際、横浜の学校でジャズを演奏しているところはどのくらいあるんでしょう?
矢嶋:横浜市内で、ジャズのフルバンドで活動しているのはおそらく笹下中だけですね。港南台一中は僕がいなくなった後、なくなりましたから。高校では氷取沢高だけですかね。
中村:そんなに少ないんだ。
市長:ジャズは高校生、中学生レベルで競える場はあるんですか。コンクールみたいなものは?
矢嶋:ないですね。日本人って、「コンクールで○○賞をとった」っていう“ブランド”をみると、演奏を聴かなくても「じゃあ上手いんだろう」って勝手に判断してくれる。自分の耳じゃないんですね。そうすると余計“ブランド”が欲しいからみんなコンクールに夢中になっちゃうんですよ。
横浜市立笹下中学校教諭 矢島 照夫 市長:だからですよ。コンクールがないとやらないのが日本なんです。コンクールがあって、それが学校単位で競われるものが日本ではポピュラーで、学校単位で競えない、コンクールがないものはマイナーなんですよ、簡単に言ってしまえば。だから親も生徒も関心を示さない。
庄司:となると、今後もジャズのコンクールがなければ横浜でもジャズを演奏する学校は増えないってことでしょうか。
市長:そこでね、一つ考えていることがあって。昨年12月にニューヨークに行ったんですよ。リンカーンセンター(アメリカの音楽・演劇・舞踏を集約させた複合文化センター)を訪ねて、ウィントン・マルサリス(ジャズ界きっての理論家で最高のトランペッター)のリンカーンセンターでの教育プログラムを横浜でやっていただきたいと、プロポーズをしてきたんです。その後、話は順調にまとまって毎年来てくれることになりました。リンカーンセンターのトップレベルの指導を横浜の子どもたちが受けられるようになるわけです。間口を広く、興味ある子どもたちが来て、一緒になって楽しみながらジャズに関心をもっていくという、横浜市として、「ジャズの街ヨコハマ」というのにふさわしいプログラムを準備しています。

何でもいい、とにかく楽しくやる。
ジャズってこんなもの。

矢嶋:港南台一中の頃、アメリカにコンサート・ツアーに行った時、アメリカの中学生バンドが先に演奏したんですが、聴いてビックリ。それはもう、ひどい音を出すんです。
一同:ひどい!?
矢嶋:そう。音が合っているとか、チューニングが合っているとかそういうレベルではない。日本でいえば、小学生が1週間前に楽器を持ったのかなって思うほど。でも、悪びれもせず、照れながら前に出てきてソロをするんです。バックも合ってない、ソロだってめちゃくちゃ。でもみんな喜んでやるんですよ。
中村:そうなんだよね、外国は。そこが違う。
矢嶋:次に高校生が出てきて、今度は逆。スゲーっていう演奏をする。なんでかと言うと、12年間の義務教育の中で、高校の3年間では徹底して鍛えるっていうプログラムらしい。日本でいう中学生くらいまでは、あれもやってみよう、これもやってみようと、とにかくいろいろな事をやらせるんだそうです。だから楽しいようにやらせる。そこで最後の3年間で、やりたいことを選ばせて、徹底的に鍛えるんだそうです。ジャズにはそういう楽しいところから入れる要素がある。
中村:なんでもいいんだよ(笑)。
市長:でもそういう風に楽器に接することで楽しいと感じ、楽しむことができるようになれば、今度は逆に色々自分のコースを思いついたりするんでしょうね。そこが入口になって、クラシックに進む人もいるかもしれないし。
中村:いますよ、当然。逆にクラシックからジャズにいく人もいる。交流がある。
市長:それが、いきなり楽器持たされて、一つひとつの音の出し方の基本からやらされて、少しとちれば叱られる環境だと、やっぱり垣根が高くなる人はいますよね。僕みたいに。
矢嶋:そうだと思いますよ、ほんとに。
中村:大学でもアドリブを教えるのってすごく難しいんですよ。で、最近やっと気がついたことがあるんです。もともと音には安定した音と不安定な音があるんだけど、アドリブを教える際に、ジャズではまず不安定な音を出すのよ。不安な音から安定した音につなげると、すごくよく聞こえるわけ。逆に、安定したところから不安定なところにいくと、デタラメに聞こえる。だから、不安定な音をいくら出しても最後に安定した音を出せばいい。
市長:じゃあ、安定したところでやめちゃえばいいんだ。
中村:そう、自分が安定したと思うところで止めてしまえばいいわけ。で、それをどこまでの長さでやるかっていうのがセンス。そのやり方だったら、小学生だってなんだってできますよ。
市長:去年の話なんですけどね、ピアニストの山下洋輔さんと対談したんです。その時に山下さんからCDをいただいて、聴いてみたらドラえもんのテーマソングが入っているじゃないですか。ドラえもんのジャズ。感動しちゃってね。今までテレビで金曜日の夜7時に流れてくるドラえもんしか知らなかったけど、こんなんなっちゃうんだーって。ピアノの演奏だから歌詞が無いわけで、キーが変わったり、テンポが変わったりしてるんだけど、それでもドラえもんってわかる。あぁいうのって凄いよ。
中村:題材はなんでもいい。どんなものでもいいんです。
市長:そういうのだって、子どもからすれば入口なんですよ。
矢嶋:そうやって自分もこんな風に演奏してみたいなって思わせることが大事なんです。
庄司:横浜がジャズの街という面では、これから小さい子どもたちにジャズをどんどん演奏してもらいたいですね。
市長:そのためにはジャズが楽しくて好きだと思っている人たちが、おおいに楽しむしかないですよ。子どもたちにやれっていったって、大人が楽しんでいないのにそれを子どもに押し付けるのは無責任な話で。JAZZプロムナードが凄いって思ったのは、報酬なしでイベントを手伝っている女の人とか、誘導係の男の人も、みんな楽しいって言っているんですよ。それって、凄いことですよ。誘導係の人なんて聴けないじゃんって思うんだけど、それでも楽しいって言える。そうやって楽しめる大人がたくさん現われれば、自然とジャズを演奏する子どもも増えると思いますね。
矢嶋:JAZZプロムナードに行くと、卒業生がボランティア・スタッフでいたりするんですよ。やっぱり楽しいからなんでしょう。自分は演奏しなくても、後ろからバックアップするという形で係わっている。そういう卒業生がいることが、私はとても嬉しいですね。
中村:僕は中学2年で初めてジャズを聴いて、「なんじゃこりゃ。デタラメにやるのがジャズなのか」って思ったんですよ。でも、なんか気になって3週間聴き続けていた時に、「これはみんなが自由にやっている音楽なんだ」って気がついた。自由な魂でもって自由に自分を表現でいるっていうのが、ジャズのすごく良いところなんですよね。
市長:だから今後、僕みたいな人が増えると良いですね。わかってなかったとか、垣根が高くて今一つ関心を示さなかった人が、そういう誤解を取り払って、ジャズをとにかく楽しめばいいんだととらえる人が増えれば、自然と盛り上がってくるだろうし。そういう意味で、僕みたいな人を増やすために身近な人に声をかけて、JAZZプロムナードおもしろいぞ、行こうぜって広めることが大事なんだと思っています。

庄司ゆかり(YUKARI SHOJI) 中田 宏 中村 誠一 矢島 照夫

司会 庄司ゆかり(YUKARI SHOJI)

司会 庄司ゆかり(YUKARI SHOJI)
横浜生まれ横浜育ち。現在、ラジオ日本交通情報キャスターや横浜オンリーワンのレポーターなどを担当。


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