横濱ジャズプロムナード2010




横濱 JAZZ PROMENADE 2008 | スペシャル対談

jazzpro2008

・実施概要
・ホールライブ
・街角ライブ
・ジャズクラブ
・特別展示・特別企画
・コンペティション&イベント
・スペシャル対談
・参加者の声



マイク・モラスキー×平岡 正明

撮影:森 日出夫
進行:柴田 浩一(横濱 JAZZ PROMENADE アーティスティック・ディレクター )

マイク・モラスキー

Michael Molasky(マイク・モラスキー
1956年セントルイス生まれ。
ミネソタ大学アジア言語文学科教授。70年代から延べ10数年にわたり日本に滞在。著書に「占領の記憶 / 記憶の占領」、「その言葉異議あり!-笑える日本文化批評集」そして「戦後日本のジャズ文化」がある。ジャズ・ピアニストの顔も持ちCD「Mike Molasky Trio Live!-Back at Aketa」も発売されている。


平岡 正明

平岡正明(ひらおか・まさあき)
1941年本郷生まれ。評論家。
ジャズ、歌謡曲、浪曲、文学、政治、落語と異分野をバリア・フリーで斬り駆ける。「ヨコハマ浄夜」、「横浜中華街謎解き」など横浜に因む本も多い。「昭和ジャズ喫茶伝説」をふくめ著書は110は超えたようだ。


柴田浩一

柴田浩一
横濱 JAZZ PROMENADE アーティスティック・ディレクター



■ジャズ喫茶と名曲喫茶

モラスキー:横浜におけるジャズ喫茶と名曲喫茶には同じ客が行ってたんですか?あるいはファンは分かれていたのですか?
柴田:横浜に名曲喫茶と呼ばれるようなものは、たぶん2軒ほどしかなかったと思う。それに対して東京の神田には多くあった。名曲喫茶は学生相手の店だったんじゃないの。
モラスキー:そうですか、横浜に名曲喫茶が少ないということ自体がおもしろいことなんだけど、何故なんだろう?
平岡:そうね。横浜ってクラシックないね。
柴田:名曲喫茶は必ず可愛い女の娘がいてそれ目当ての客が多かったんじゃないの。
モラスキー:それは横浜に可愛い娘がいなかったということになり問題発言だなあ。(笑)
柴田:いや横浜には学生が少なかったんじゃないの。
モラスキー:
そんなこといったらジャズ喫茶だって少ないことになってしまう。ライブがあったじゃない、ナイト・クラブのような。
柴田:それは少し前の話になるね。
モラスキー:じゃあ横浜じゃあなくても東京でもいいんだけど名曲喫茶ファンは違う階層なんでしょうか?
平岡:いや、それは違う。僕はクラシック・ファンだったからそんなことはないと思う。植草甚一さん※1が大正時代の東京の喫茶店200軒に行ったという話があるけど、この数は天保時代の寄席の数に等しい。ということは寄席と喫茶は文化の点で似ていたといえると思う。「ちぐさ」のオヤジがジャズ喫茶は日本独特のものだっていってたよね。もうひとつ加えるなら黒人が絶対こない場所だろう。
柴田:
寄席では笑ったりするけどジャズ喫茶では感情表現はしないよね。
モラスキー:
昭和初期の時代に戻ると、ジャズは踊るための音楽だったから名曲喫茶並みに昇格させるために、肉体と頭脳を分離し肉体的な反応をすべて排除して鑑賞する音楽にしたんでしょう。
平岡:だから黒人こないのよ。
モラスキー:先日、九州を調査で回ってきて佐世保でおもしろい話をきいた。ある店のオーナーが京都で学生時代を過ごしたので、京都のお店のような店にしたかった。ところがやってみると米軍の客が来てしゃべるし「オー、イエーッ」なんて大声出すしで、諦めて佐世保らしい店があっていいやって。(笑)
平岡:復帰直後の沖縄のコザへ行ったらジューク・ボックスの中は全部、ジェームス・ブラウン。余暇の少ない時間ではジャズなんて長いものは駄目で3分間25セントの楽しみなんだな。そこで竹中労さん※2がここまで流行っているなら本人呼んじゃえって。コザの闘牛場でほんとにショウやったのよ。
モラスキー:エーッ、それは基地からお金が出てない?
平岡:出てない、出てない、でも本物来ました。
柴田:ジェームス・ブラウンは意気に感じて来たの?
平岡:
うん、かっこ良かったねー。♪ゲラップ、セックス・マシーン♪なんて。あそこの基地はメキシコ系が多いし…
モラスキー:
フィリピンとね。そうこの人みたいな(笑)。
平岡:そう、南部の黒人も多いってことで、来たんですよ。最初は静かに聴いていると見えたんだけど、乗ってくるとすごい、まるで極楽鳥だね。
モラスキー:
白人も来ました?
平岡:
少しね。沖縄県警が警戒していてね、ジェームス・ブラウンがアジったら暴動が起こるんじゃないかってね。全然そんなことないよ。

■カテゴリーって

モラスキー:ソウルとかブルースとか演歌もそうなんだけど、ジャズとどこで線引きするのかっていうことと、何故線引きするのかっていう問題もある。ジャズ喫茶全盛期の60年代後半はアメリカでも白人も黒人もジャズを聴く人が少なかった。黒人はリズム&ブルース、白人はビートルズとかボブ・ディランとか聴いていたんだけど、ブルースとその周辺の音楽がなけりゃあジェームス・ブラウンもレイ・チャールスも生まれていない。演歌だって伴奏はビッグ・バンドですよ、まったく関係無いわけじゃあない。最近考えているのは、ジャズを語るうえでカテゴリーを持ち出す人は、そのことによって自分の知識をひけらかす傾向がある。そういうのは音楽を深めるのではなく、逆に楽しみを奪われているように思う。
平岡:
俺は違うね。そういった意味ではいいジャズ・ファンではない。俺は革命が好きなのよ。黒人ジャズのバップが革命的なのよ。黒人文化が好きなのよ。
柴田:カテゴリーは日本人特有のものだと思う。
モラスキー:
いや、そんなことないですよ。
柴田:だったら強調するんだと思う。ジャズ・ジャーナリズムがカテゴリーを定義しないと本もCDも売れなかったんじゃないの、これは評論家も含めてみんなそうだったと思う。
モラスキー:僕はね、全員とは言わないけど評論家は音楽について語っていないと思いますよ。
平岡:すいません。僕なんかそうです。(笑)
モラスキー:
語っていない人が多く、カテゴリーによってそれも周辺を語るわけで肝心の核となるものに触れない。カテゴリーは例えば中華料理の話のようで、ここは上海、四川、広東料理とはいうけど、じゃあ、どうおいしさを引き出しているのか、どうおいしく味わえるかということを聞きたいのに、この料理の材料はこれですなんて。(笑)

■ところ変われば

柴田:佐世保は先ほど聞いたけど、ジャズ喫茶の地域性ってあります?
モラスキー:あります。これから北の方へ行きますが顕著なのは関西ですよ。京都、大阪、神戸と3つ、くっついてるけど違いますね。文化的な違いもあるけどそればかりでもない。京都は街の中に大学が集中しているということで学生相手がほぼ100%、大阪は学生だけでなくサラリーマン、働いている人が入ると雰囲気が違う。大阪には特殊だが最先端の店があったり、神戸はいい店もあるけどライヴ・ハウスが多い。おもしろいのは大阪の人は京都へ聴きに行くけど、京都の人は大阪へは行かないとかね。(笑)だから単に文化的な違いじゃなく、街の経済的な部分も関係してくる。この間、驚いたのは今治市で朝からやってるジャズ喫茶が2軒、しかも1軒は年中無休。365日ですか?って尋ねたら、いや違う、今年は366日だって。(笑)店は大通りに面していてしかも裁判所の真向かい、斜め前は警察署、そこで、この辺で事件起きましたか?って訊いたら、あるわけないでしょ!って(笑い)もひとつおもしろい話。お客がマスターに「この店の壁の向こうに何があるの?」って訊く。マスターはトイレですよ。って答えると「いや、そうじゃない。食器の音とか話し声が聞こえる」って。かかっていたレコードはビル・エヴァンスのヴィレッジ・ヴァンガード。(笑)
平岡: ギャグじゃないんだ。
モラスキー:いやホントの話。よく考えたらクラシックの場合はあういう状況では録音はしないし、ロックのライヴ録音の場合、音がでかいから客一人ぐらいの話し声が聞こえない。あれはジャズのライヴ録音独特のものですね。でもヴィレッジ・ヴァンガードで録音された時は客がしゃべっていて、日本のジャズ喫茶では人がしゃべっているのを静かに聴かなきゃならないってア、ハハハハ(笑)
平岡: いや、それでね。オスカー・ピーターソンのロンドン・ハウスが60年、それから1年経つとヴィレッジ・ヴァンガードでしょ。ボーイがなんか運んできてる感じで、アメリカ人ってエヴァンスとかピーターソンで飯食ってやがるって、これは口惜しかったな。でも素晴らしいと思った。それに対応するようなエヴァンスのコメントをオリン・キープニュース※3が言ってるんだけど、ローカルな町のハウス・ピアニストを聴いていたエヴァンスが「僕はあういう一生を送りたかった」と言ったらしい。送ってもいい、なのか送りたかったのか、ニュアンスは判らないんだけどね。読んだとき自閉症かなと思ったね。

■今、ジャズ喫茶の定義

柴田:ところでモラスキーさんのジャズ喫茶の定義とは?
モラスキー:絶対基準というのを設けていて、まず昼間開いてなきゃならない。そしてチャージなしのコーヒー1杯でOK、そして、そこそこのレコード・コレクションとオーディオ装置。外には看板などで“ジャズ”を明記していて、ジャズを聴かせる店であると主張している店ですね。
柴田:その基準を満たす店は全国でどれくらい残っていますか?
モラスキー:
たぶん50軒ぐらいでしょう。それが昭和51年ごろには500軒ぐらいあったんですから、随分少なくなったもんです。ただはっきり言えるのはどこの店も客層の平均年齢は店主と共に上がっていて、逆に下がっているのが音量。(笑)ジャズ喫茶が日本で成り立った理由は、ライヴが少なくそのライヴの代わりとしての再現をしたからであって、常にライヴを追っかけるけどライヴはやらないという、内抱的な矛盾を抱えていたと思う。
平岡: うん、ここで最初の話に戻るけど、名曲喫茶ファンとジャズ喫茶のファンは同じなんだよ。クラシックに関しては2人の文学者の名前を出します。それは銭形平次の野村胡堂と剣豪作家の五味康祐がいい例を出してるんだが、ベートーヴェンの交響曲を支持する者とモーッアルトの室内楽を支持する者ははっきりと違うんだ。ベートーヴェン支持派は学徒で、明日自分が戦場へ行く際に聴く音楽であると、この精神構造が日本のクラシック界を支えているのであって、逆にモーッアルト派は貴族的な連中だとね、これは五味さんの意見です。
モラスキー:
もうひとつのキー・ワードは希少価値ですよ。
平岡:
そうそう希少価値ですよ、同時に文化ね。ベートーヴェンを聴いてから命捨ててもいいという精神構造があった。そういう流れの中での日本のクラシックはコチコチである。クラシックに向いあう日本の後進性がジャズ喫茶を生むことになった。ジャズ評論の第一世代のほうが旗本退屈男だった。対米謀略放送にジャズ使っていたから、上海の放送局へ行った野口久光さん※4だとか、ベニー・グッドマンはいいといいながらB-29に高射砲をぶっ放していた砲兵中尉、油井正一さん※5とか。当たらなかったけど。
柴田:
名曲喫茶ってなんだったんだろう?あの古色蒼然の造りの中で静かに音楽を楽しんでいたのだろうか?
モラスキー:
そう、ロココ調の赤いベルベットかなんかのソファーでゴテゴテしてて。でもね、名曲もジャズも昭和初期までさかのぼれば、SP時代だから3分間でレコードをかけ換えなくてはならない。だから女の娘を2人置いて1人はレコード係、もう1人はウェイトレスとしたんですね。大正時代のカフェ文化から発しているんだけどジャズの場合、踊る音楽だけど無理して上品にしたという経緯がある。でも昭和21年創業の上野の「イトウ・コーヒー」などは美人喫茶から始まった。入口にカヴァー・ガールを立たせたりしてね。だからジャズかけりゃあ商売になりそうだということで、水商売の延長線上に出来た店もあったでしょう。ジャズ喫茶の男性客の視線の対象はレコード・ジャケットと女の娘とスピーカーなんだな。(笑)
平岡:
上野池の端は水商売当たり前だ。不忍池があるもん。(笑)
柴田:モラスキーさんの本でいけば、かって日本の文化に貢献したジャズ喫茶を今、支えているファンは?
モラスキー:ジャズ喫茶に通っているのは、又は新しく開店しているのは団塊の世代で、懐かしさかオーディオ・マニアか、珍しいレコードを聴きたいという人で若い人はいない。唯一例外は、神保町の昔の「李白」ってあったでしょ?
平岡: オーッ、知ってる。俺の高校の先輩がやってんのよ。
モラスキー:
その「李白」は辞めて今「喫茶去」なんです。32才のマスターで朝7時半から夜9時までやってる。
平岡:
ああ、じゃあ息子だ。
モラスキー:いや、違うんじゃないかな。そのマスターにあなたは全国で一番若いっていったら、神戸に22、3才がいるっていう情報があって神戸行って調べたらそういう店は無いといわれた。だから唯一の例外のようです。
平岡:
今の話、みんなの知らないこといおうか、「喫茶去」っていったでしょ、その前が「李白」その前は「モーツァルト」その前もあって「ドガ」。
柴田:マニアックな話だな。
モラスキー:「李白」にはTVがあって、いや大正時代の焼け残った民家なんですよ。せっかくいい内装で雰囲気いいのにTVがかかっているのは興ざめだった。
平岡: クーラーがない時代は新しい客が入ってくると扇風機を向けるんだ。「モーツァルト」の時代までは馴染みの客がきてコーヒーを飲むと、このくらいのババロアがついた。初代のオヤジは変人だった。
柴田:どんな音楽かかってんの?
平岡:
だから「モーツァルト」の時はモーツァルト。これホント。(笑)
柴田:
じゃあ「李白」は
平岡:
「李白」は詩だなあ。(笑)岩波新書の「新・唐詩選」出してオヤジが読む。(笑)
モラスキー:
本当は酒を出さなくてはならない。
平岡:
李白は酒仙だからね、壺中天とかいうんだろ、壺の中に仙人がいて。李白は酒が好きなんだな。あなたみたいだ。
モラスキー:
李白は酔った詩ばっかり書いていたから。
柴田: 酒にまつわる小話が載ってる本を買ったけど、李白は多い。でも人の酒の話は読んでもおもしろくないね。自分で飲んだほうがいいね。(笑)
モラスキー: そりゃあ、そうですよ。(笑)飲む代わりに読んだほうがいいという、つまらぬ文化人がいたら同席したくないな。(笑)今度ね、どこかの出版社から「日本列島千鳥足放浪記」みたいな本、出せたらいいな。(笑)
柴田:寅さんみたいだな。
モラスキー: フーテンのモラと発します。(笑)

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■オタクとミーハー

柴田:ジャズ喫茶のファンってどこかおかしい。「ちぐさ」の親父のように威張っていてもなりたってしまうという、お客にいじめられタイプが多い。
モラスキー: マスターに憧れを持つということがある。内心は皆マゾかなって思ったりすることがある。(笑)
平岡:
あるよ、それって。(笑)
モラスキー:
ジャズ喫茶は一種の厳格な師弟制度の上になりたっているようなもので、最近思うんだけれど、本を書いたり演奏したり、外部に向かって自らの表現をさらけ出すことは批判の対象になるけど、密閉された空間でのマスターは城の主なので客からは非難されない、例えば空手の免許を取るといえば戦わなければならないけど、ジャズ喫茶のオーナーは戦わずして黒帯になれる。本来は客が店を選ぶのだろうけど、客も知らないからくるのであって、これはオタク文化の. . . .
平岡:
今、オタク文化っていったね。
モラスキー:いやオタク文化だと思っていますし、あるマスターも「ジャズ喫茶はオタク文化の始まりだ」って。
平岡:
あーそうかもしれない。
モラスキー:だからこのレコードは1967年○月×日の録音で場所はどこ、レコーディング・エンジニアは誰、レコード番号は、とかいう限られた雑学的知識を披露して自己満足するような世界。(笑)
平岡:うん、なるほどな。人類には2種類あってオタクとミーハーなの。おもしろいと面白いといっちゃうのがミーハー。ジャズ聴きゃあイェーイというし、浪曲なら日本一!っていう。これがミーハー、ここはみんなミーハーでミーハーのかなり上の位。(笑)
モラスキー:なんだかほめられてんのか、けなされてんのか。(笑)
平岡:最近は日本人のミーハーが少なくなってきてるな。オタクは危ないんだよ。それにしてもあなたもかなりのミーハーだね。(笑)
モラスキー:人類を2つだけに分けるならそっちのほうに所属するでしょう。でももう少しカテゴリーを設けてもいいと思いますけどね。(笑)
柴田: ジャズ喫茶にいたのがオタクとすればジャズ好きはミーハーでしょ。俺たちミーハー。
平岡:俺たちミーハーだね。
モラスキー:
ジャズ喫茶に行ってた人がオタクとはいってないですよ。ジャズ喫茶文化がどっちかというとオタク的要素が多い、そしてオタクにとって気楽な環境ではある。あるマスターがいうんだけど、自分は自閉症に近いくらいシャイでジャズと映画が好きだった。ジャズ喫茶は自分の殻に閉じこもっていられる場所なので、通っているうちに徐々に慣れていって自信がついたという、そういった意味では安全地帯なんです。もちろん、そうじゃない店もありますが、基本的には表現を規制する効果として、何も解かってなくても解かってるふりをしなくてもすむ。僕にはケンカ友達のマスター もいますが、喧嘩の争点は何故“解かる”っていう言葉を持ち込むのかということで、演歌は解かるなんていわないでしょ、さっきの頭と肉体の分離の話、一所懸命勉強しないと理解できないからこそエキスパートの存在理由がある。これは一つの完成された空間のシステムではないかなと。

■これから

平岡: ビリー・ホリデイとルイ・アームストロングの「ニューオリンズ」の1947年の映画なんだけど、音楽は一流だけれども映画としては二流だと、白人男女の恋物語でつまんないってね。そんな評論だったけど、でもこれ実に素晴らしいんだよ。内容は1917年12月13日、午前零時ピッタリ。海軍命令でニューオリンズのストーリーヴィルが閉鎖される。キャバレーや伎楼や酒場の前に武装警官が並ぶ。ガラスが割れる。黒人たちがワーッと出てきてビリー・ホリデイを先頭に、歌いながら町を捨てる。モーゼに率いられたユダヤの民の出エジプト記の感覚だった。
柴田:
モラスキーさんは今、書いていますよね。
モラスキー:今、筑摩書房のホーム・ページのオン・ライン雑誌に連載しています。タイトルは「ジャズ喫茶という異空間」副題は「’60、’70年代の若者文化を歩く」です。見てください。その後、時間をかけて単行本にと考えています。
平岡:
それはいいですよ、ホントは若者文化を年取ってから歩く、が正しいと思うけど。(笑い)ところで、あなたもいよいよ本が出ますね。タイトル決まった?
柴田:
そのものです。「デューク・エリントン」。
平岡:
ああ、いいね。俺の親友が力強い本を出してくれるのは嬉しいんだ。だから俺も呼応してもう一人のジャイアント、ルイ・アームストロングを同じ愛育社から出す。タイトルは「黒人大統領誕生をサッチモで祝福する」ってやつ。(笑) そこでさっきの「ニューオリンズ」にも関係してくるのだが、ニューオリンズと吉原の比較とかね。
モラスキー : 五木寛之さんがニューオリンズとブエノスアイレスのことを書いてましたね。音楽と歓楽街とが共通でしょ。
平岡: そうか、じゃあ俺と五木さんとで「海抜0米地帯の憂鬱」という題で書こうか。深川、ニューオリンズ、ブエノスアイレスみんな海抜0メートルでしょ、そこではいい音楽が生まれるんだ。
柴田:じゃあ、そろそろ気分は0メートルに潜りますか?

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※1 植草甚一(1908 ~1979)/ジャズ、映画評論家。独特の文体のエッセイで知られるが服飾や生活そのものもユニーク。
※2 竹中労(1930 ~1991)/革命思想の持主であり気骨あるルポ・ライター。平岡さんとの共著「水滸伝」もある。
※3 オリン・キープニュース(1923 ~ )/雑誌編集者を皮切りにリヴァー・サイド・レコードのプロデューサー。
その後レコード会社の経営にも関わるが後年はフリーのプロデューサー。
※4 野口久光(1909 ~1994)/日本のジャズ評論を確立した一人。ミュージカルから映画まで幅が広いがいずれも全幅の信頼をおける。人物画はプロ級。
※5 油井正一 (1918 ~1998)/横浜生まれ。確かな耳と表現力を発揮して野口さんと双璧。
油井さんのほうが話術に長けたぶんNHKラジオ等の出演も多かった。
協力:一千代、ファイブスターズレコード

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