喜樂座、天勝公演の広告との出会いは、神奈川新聞の前身である横濱貿易新報の大正年間の音楽記事のみを取り出した本の購入がきっかけだった。
そこから興味を覚え調べることになったが、どこの地でも日本で初のジャズ演奏には関心が高く、ウチは明治時代にジャズを演奏していたと、本家のアメリカでも発展途上の時期なのに、この件に関してはまことに五月蝿い。
この際、1925年(大正14年)6月19日の天勝の帝劇興行前のラジオ出演こそ、日本最初であることを証明しこの話を終えたい。
ちょうど今世紀が始まるときに区切りがいいと考えたか、ジャズ100年という言葉が使われた。20世紀初頭にジャズ誕生という決まりきったフレーズが生きているのだ。だがそうだろうか。じつはジャズの誕生はいつかということ自体が難しい。ジャズという言葉が生まれたのとジャズという音楽の誕生は一致しないのだ。言葉はO.D.J.B.(オリジナル・デキシーランド・ジャズ・バンド)の記録から1917年と確定できる。音はどうか、これも記録された音源を聴けばある程度の判断は可能だろう。
考え方を変えて逆に誕生時期よりも完成といえば、1928年6月28日録音のルイ・アームストロングの「ウエスト・エンド・ブルース」だ。ビックス・バイダーベックの27年10月5日の「ジャズ・ミー・ブルース」、「アット・ザ・ジャズ・バンド・ボール」も考えられる。いずれも素晴らしい演奏で誕生はこの時点からさかのぼって行く。そう考えると1920年代の初頭にようやくジャズ風の音楽がまとまりつつあり、ジェリー・ロール・モートンの26年のビクター録音あたりで一気に開花したと考えるのが妥当である。だからそれ以前はジャズと名乗ってはいてもジャズ風に他ならないし、ジャズの特徴であるバイタリティーやインプロヴィゼーションなどない単なるダンス音楽だ。ならば天勝の帰朝公演もジャズ風ではないかといわれそうだが、まさしくジャズ風なのだ。ただしニューヨークで編成したセプテットの演奏であることや、ピアニストF.Bオコニエフも当時ジャズ風音楽が盛んだったデンヴァー出身であること、演奏曲名がはっきりしていることが日本初の理由となる。
第2回「日本最初のジャズ」
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