前回に引き続きもう少々”初めて“について書いてみたい。天勝ジャズ一行が全国興行をまる1年かけて終えたその月、大正15年(1926)8月28日付けの横濱貿易新報の広告頁に「ツバメ印ニットーレコード九月新譜売り出し」を見つけた。その中に”浪花節 大石東下り“等とならびハーモニカジャズが載っている。演ずるはジャズ・ハーモニカバンド、曲は「活惚」、「春雨」。ハハハ、いいね。実態は判らないが日本人として”トゥーツ“シールマンスより先であることは間違いないということだ。
翌日の8月29日に連載物の音楽評論の4回目がある。書き手は三浦俊三郎氏でタイトルは「国民性と時代相とを基礎とした~新音楽の出現」だ。
これも原文を生かし書き出してみよう。「米のジャッズ音楽は低級であるとて太平洋横断させてはならぬと迄言った、某教育音楽者の言の伝わらぬうちに、既に同音楽の匂いも天勝一行によって小さいジャッズバンドながらも全国的に紹介された。堅実な国民性を破壊するものだとか、性的な挑発的な楽音の持主だという、一概には論ぜられないが私も一度聞いて大いに考えさせられた。
人間のあらゆる情緒を表現される交響楽の歓喜へと若き魂は帰向していく。軽快なハーモニカにマンドリン、潤の豊かなギターにハープ、挑発的なバンジョーにタンバリン、滑稽味のあるカスタネット、肉声に近いチェロの力強さ、ヴァイオリンの嘆きにクラリネットの劇的なフリートの技巧的で深味もない可憐さ、トロンボーンの雄大荘厳に対してトランペットの歓喜、オーボエの叙情的な涙からベースの絶望へと、人間の情緒とその変化を物語る響きに耳をそばだてている。」
初めて触れた音楽にしてはおおむね好意的だ。この三浦氏、未だ音楽評論などという分野が確立されてないこの時代に外国の音楽を評価し、日本の音楽界を鼓舞しようとしている。この文章はジャズ評論の第1号であり、音楽評論家としても日本最初の人だろう。横浜の人だ。
この連載の最終回にあたる9回目の最終章では、外国の音楽と対立する前に日本人の偉大な作曲家が出現することを望み、こう締めくくっている。「真実の新しい音楽、時代相を背景とする国民楽、国民性を基礎とした大日本の音楽が生まれ出て、我々国民が心からその大酔歓喜の栄光を歌う時を願って止まないのである。」
第3回「日本初のジャズ評論」
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