Columnコラム

第5回「戦後はドラム・ブギーで開幕」

―Wrote By柴田 浩一―

 長い長い太平洋戦争がようやく終った。横浜の町は大空襲をうけて廃墟となり遠くの方まで見渡せるようになってしまった。そんな市民の絶望感をよそに、進駐軍が次々と宿舎や施設を建て無事だった大きな建物は彼らに接収された。町をアメリカ人が我が物顔で闊歩し、ジープに乗ったMPが町中を走り回った。

  そして、ようやく落ち着きを取り戻した市民が復興の意欲に燃え、住まいを建て直し、商売を再開して、町が町らしい形を整えてきた。

  そんな終戦から7年目の1952年4月21日、野毛の横浜国際映画劇場(跡地は現JRA)で「ジーン・クルーパ・トリオ」の公演がおこなわれた。米兵慰問団はそれまでにも、ボブ・ホープとレス・ブラウン・オーケストラや、ハワード・マギー、J.Jジョンソン等を擁するオスカー・ペティフォード・スインギング・ジャンボリーが来日していたが、キャンプ廻りのみで一般公開はなかった。今回は米軍相手だけではなく日本人のためにも東京のアーニー・パイル(宝塚劇場)や大阪公演も予定されていた。初めて本場のジャズに直に触れることが出来る。しかもあのベニー・グッドマン・オーケストラで有名だった大スター、ジーン・クルーパだ。ジャズ・ファンが色めきたっただろうことは想像できる。横浜公演の実現は“ちぐさ”の吉田さんの本によれば、横浜国際に関係がある人が、クルーパ・トリオを羽田まで出迎えに行った際に頼み込んだらしい。この公演は予定外で急遽組まれたものだった。本では劇場側も急なことで宣伝も出来ず、大慌てで電柱柱にチラシを張ってお客を集めたとあるが、前日の20日の神奈川新聞に劇場の宣伝として小さく載った。

 ジーン・クルーパ(43)のドラムス、チャーリー・ヴェンチュラ(38)のテナー・サックス、そしてテディ・ナポレオン(35)のピアノの3人。当日の国際劇場は “カンヌ世界映画祭”、“夜明け”、“ピカソ訪問”の映画3本立で100円。特別公演のクルーパ・トリオは一般300円と学生200円。音に飢え、娯楽を求めていた横浜市民は今まで聴いたことのない本場のジャズを聴き、悲しい敗戦の痛手を忘れて大熱狂で応えた。それを受けた3人は「日本のファンは音楽に理解が深い、でなけりゃあんなに拍手はくれない」というコメントを残した。GHQの思惑が見え隠れするな。それはともかく横浜の戦後はドラム・ブギーで派手に始まった。

 このクルーパ・トリオ、19日の来日でその日から5日間連続17ステージを消化するという驚異的なタフさをみせた。24日には横須賀へ行き、基地内の海軍病院を慰問し夜はグランド・シマで演奏を行った。26日は大阪で最後の公演を行ったが一晩4ステージで50万円、この金額が関係者を驚かせたと新聞にある。うーん?現在の価格にすると入場料から推して15倍、て、いうことは750万円ナリ。こりゃあ凄いや。

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