Columnコラム

「The Most Beautiful Girl in the World」

―Wrote By小針俊郎(ジャズ・プロデューサー)―

 いまわたしは40年ぶりに再会した恋人との暮しを楽しんでいる。恋人とは懐かしいムード・ミュージックのことである。きっかけはアメリカから送られてきた一枚の試聴用のディスクであった。わたしが友人と共同経営するCDレーベルからの日本発売を打診してきたものだ。ディスクの表面には「Lonely Town/Alan Kaplan」としか記されていない。「ロンリー・タウン」はミュージカル「踊る大紐育」のためにレナード・バーンスタインが作曲した曲であることはすぐにわかったが、アラン・キャプランというトロンボーン・プレイヤーはまったく聞き覚えがない。ディスクを聴いてみると次から次へと有名スタンダード曲がでてくる。その大半はフランク・シナトラ好みの曲である。といってもコンサートで毎度歌って聞かせる十八番というものではなく、アルバムにじっくりと吹き込まれた格調の高い名曲ぞろいである。
 聴感上の印象を一言で言えばトミー・ドーシーがストリングス中心の大型の管弦楽(30人はくだらないだろう)をバックに吹いている感じである。アレンジは繊細緻密で、上品なことこの上ない。アランのトロンボーンはこのバックグラウンドの上を滑るようにたゆとおように流れていく。アドリブはおろかフェイクすらなく、一瞬たりとも原旋律から逸脱することがない。再会した恋人は年輪こそ加えたが美しさは昔と変わらず、大人の色気はさらに艶かしいのである。
 こんなわたしの恋人、即ちムード・ミュージックの世界では1950年代にジャズ系アレンジャーやプイレイヤーによって多くのLPが作られた。ポール・ウエストン、ゴードン・ジェンキンズ、ジャッキー・グリースンら多士済々。その都会的な陰翳のあるサウンドは、曲のなかに短くフィーチュアされるジャズメンの至芸とあいまって極めてゴージャスな世界を作った。
 その彼女が去っていったのは1960年代の終り頃だったろうか。山出しのポール・モーリア、レイモン・ルフェーヴルといったフランス小娘の出しゃばりが原因である。ジャズ色皆無、単純なリズム、垢抜けない旋律、薄っぺらなハーモニーはひたすら醜く貧相で吐き気を催すような代物であった。ひどいことを書くようだが、この醜女のために美しく上品な恋人と別れざるを得なかったのだからわたしの恨みは深いのである。彼女と別れた後、わたしはかつてのアルバムを入手しては、くりかえし彼女のおもかげを偲んだものである。
 一体なぜこれほど愛した恋人が長らく姿を消していたのか考えたいところだが、最早再会できたのだからあえて問うまい。いまはひたすら彼女との暮らしを楽しむ毎日である。唯一願わくば横浜ジャズ・プロムナードのステージに彼女を立たせ、その艶姿を多くのひとに楽しんでいただきたいと思う。独り占めにするには彼女はあまりにも美しすぎるからである。

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